ランニング散歩 利根川周辺
ここ数週間練習会で、渡船場や銚子漁港など利根川沿いを走ったので、今回のブログではそのあたりの風景や景色を紹介しようか。(本当のところは、ブログに掲載するネタや画像が無くなってきたので、デジカメ片手に80分のんびりジョギングしながらシャッター押しただけのことです。ネタ切れの時にと、1956-3さんからは、昨年のリレーマラソンのグラフや数値などのデータを送ってもらってあるので、リレーマラソン近くのブログのネタ切れ時に使用させてもらいます。誰か他にも画像などあったら送ってください。)
渡船場河岸公園 冬になると利根川に沈みゆく夕陽が美しいですよ
数年前にバラのトンネルができるようにこのゲートが作られたのですが、最近やっとバラの花がゲートの最下部に咲きはじめました。あとどのくらいでゲートいっぱいにバラの花が這い上がってくるのでしょうか。ゲート全体がバラの花で飾られたらどんなに美しいことでしょうか。その日が来るのを心待ちにしています。
雄大な利根川河口に広がる銚子の街 残念ながら街に元気がないな~新しくなった銚子大橋には歩道があります。ジョギングやウォーキングもできますよ
利根川河口ポートタワーが見えます。秋の銚子半島ハーフマラソンはポートタワー近くもコースになっているようです。
浜口吉兵衛の銅像 この銅像のある公園の名前は新生浜公園というんですね。初めて知りました。この新生浜公園のすぐそばに橋がかかっているんですが、橋の名前は「新興橋」
たぶん銚子に長年住んでいる人も案外この橋の名前なんて知らないのでしょうね。よ~~く考えてみると、この橋の下流側が新生地区で上流側が興野地区なんだなということに気づきます。そうです、新生の新と興野の興をとって「新興橋」なんですね。お利口になったでしょ!
新興橋の下を滑川という川が流れています。この滑川の上流をたどっていくと、一つ上流の橋(シャトレーゼの脇)が港橋、さらに上流の橋(銚子公正市民館の脇)が「復興橋」という名前の橋です。戦争による空襲で焼け野原になった銚子の街の中心部がこのあたりです。駅前道路や公正市民館前の道路は、戦後の復興事業で拡幅されたようで、この橋の名前も「復興橋」と名づけられたのではないでしょうか。されに上流の橋(妙見様のそば)が小川橋。そしてその一つ上流の橋のことを、今回のブログで紹介したかったんです。角にサイクルショップのある交差点の脇に掛る橋の名前が【乙女橋】なのです。勘の鋭い方ならおわかりでしょう。その先に女子高があったんですね。現在は数年前に男女共学になっていますが、戦前、戦中、戦後と女学校だったんですね。当時の可憐で清楚な女学生がこの橋を渡り乙女の園に通っていたんですね。当時のうぶな男子学生が電柱の影から、憧れの乙女を眺めていたんでしょうね。【乙女橋】ロマンティックな素敵な名前ですね。
私が都内に住む姉のところへ遊びに行く時は、都電に揺られ【面影橋】という駅で降りるのですが、この【面影橋】という橋の名前も素敵です。私の好きな「影」という字も入っていて気に入っている橋の名前です。【乙女橋】【面影橋】という橋の名前から、私が10代の頃ラジオの深夜放送で流れていた、茶木みやこさんの【泪橋】(なみだばしと読みます)という歌がよみがえってきます。歌詞の内容がなぜか私の胸に沁みるんです。 http://www.youtube.com/watch?v=xKAqOpcBASI&feature=player_detailpage この蛍光ペンで塗ってある部分をクリックすると視聴できるよ(You Tube)
利根川にカッパが住んでたんだとさ。カッパ達も滑川をさかのぼり、乙女橋の袂に群生する花々の花影からそっと女学生を見つめていたのでしょうか。冬の凍てつく夜空に懸かる三日月の月影から、宇宙人も速足で帰宅する女学生をそっと見守っていたのでしょうか。
渡船場河岸公園 冬になると利根川に沈みゆく夕陽が美しいですよ
数年前にバラのトンネルができるようにこのゲートが作られたのですが、最近やっとバラの花がゲートの最下部に咲きはじめました。あとどのくらいでゲートいっぱいにバラの花が這い上がってくるのでしょうか。ゲート全体がバラの花で飾られたらどんなに美しいことでしょうか。その日が来るのを心待ちにしています。
雄大な利根川河口に広がる銚子の街 残念ながら街に元気がないな~新しくなった銚子大橋には歩道があります。ジョギングやウォーキングもできますよ
利根川河口ポートタワーが見えます。秋の銚子半島ハーフマラソンはポートタワー近くもコースになっているようです。
浜口吉兵衛の銅像 この銅像のある公園の名前は新生浜公園というんですね。初めて知りました。この新生浜公園のすぐそばに橋がかかっているんですが、橋の名前は「新興橋」
たぶん銚子に長年住んでいる人も案外この橋の名前なんて知らないのでしょうね。よ~~く考えてみると、この橋の下流側が新生地区で上流側が興野地区なんだなということに気づきます。そうです、新生の新と興野の興をとって「新興橋」なんですね。お利口になったでしょ!
新興橋の下を滑川という川が流れています。この滑川の上流をたどっていくと、一つ上流の橋(シャトレーゼの脇)が港橋、さらに上流の橋(銚子公正市民館の脇)が「復興橋」という名前の橋です。戦争による空襲で焼け野原になった銚子の街の中心部がこのあたりです。駅前道路や公正市民館前の道路は、戦後の復興事業で拡幅されたようで、この橋の名前も「復興橋」と名づけられたのではないでしょうか。されに上流の橋(妙見様のそば)が小川橋。そしてその一つ上流の橋のことを、今回のブログで紹介したかったんです。角にサイクルショップのある交差点の脇に掛る橋の名前が【乙女橋】なのです。勘の鋭い方ならおわかりでしょう。その先に女子高があったんですね。現在は数年前に男女共学になっていますが、戦前、戦中、戦後と女学校だったんですね。当時の可憐で清楚な女学生がこの橋を渡り乙女の園に通っていたんですね。当時のうぶな男子学生が電柱の影から、憧れの乙女を眺めていたんでしょうね。【乙女橋】ロマンティックな素敵な名前ですね。
私が都内に住む姉のところへ遊びに行く時は、都電に揺られ【面影橋】という駅で降りるのですが、この【面影橋】という橋の名前も素敵です。私の好きな「影」という字も入っていて気に入っている橋の名前です。【乙女橋】【面影橋】という橋の名前から、私が10代の頃ラジオの深夜放送で流れていた、茶木みやこさんの【泪橋】(なみだばしと読みます)という歌がよみがえってきます。歌詞の内容がなぜか私の胸に沁みるんです。 http://www.youtube.com/watch?v=xKAqOpcBASI&feature=player_detailpage この蛍光ペンで塗ってある部分をクリックすると視聴できるよ(You Tube)
利根川にカッパが住んでたんだとさ。カッパ達も滑川をさかのぼり、乙女橋の袂に群生する花々の花影からそっと女学生を見つめていたのでしょうか。冬の凍てつく夜空に懸かる三日月の月影から、宇宙人も速足で帰宅する女学生をそっと見守っていたのでしょうか。
この記事へのコメント
私は今息子の住んでいる東京都稲城市という所に来ています。陸上競技場がに近くにありその外周がジョギングコースになっております。アップダウンがあり大変いい練習コースです、今日も少し走って来ます明日は行けませんが練習会参加のみなさん頑張って下さい。
残念です(>_<)
来週は行けると思いますので、頑張ってください(^^ゞ